老後に夢見る貧乏恐怖症

貧乏恐怖症とは、うつ病の一種だそうです。

そもそも私は10年以上うつ病とお付き合いをしていますから、今さら極端に驚いたりはしないのですが、やっぱりそうかと少し悲しい気持ちになります。

昔からお金が発生することに関しては、自分でも驚くほどアイデアが浮かび、意欲に燃える。いったい自分のどこにこんなエネルギーがあったのかと不思議になるほど。

社会人になった私は、取りつかれたように、朝から深夜まで働いた。

職業的なものもあるのですが、残業手当が付くのなら、遅くまで残っていた方がふところも暖かくなると、まったくもってダメな考えをしていたのです。

結婚を機会に仕事を辞めるつもりでした。

勤務時間はAM9:30~PM10:30が毎日続き、残業ができないと「だから女性は使えない」と思われてしまう社内環境。

一生懸命働いている女性の皆にも申し訳ないのと、何年もタイトな仕事を続けていたため、私の体はボロボロになっていたのです。

そんな私と結婚しようと思ったのですから、今思えばホントに感謝です。

仕事を辞めてからは、しばらく専業主婦をしていました。

このころから10年先を見ながら生活をするようになり、通常の家計簿以外にも、10年後の家計計画表などをつくり、そこまで貧乏ではないのに、節約節約の毎日。

新聞のチラシを見比べては、こっちのお店の方が何十円安いから行かなきゃ!と、考えている間はとても楽しく、通帳の数字が増えれば増えるほどウキウキする嫌な女でした。

ある日主人が、必死にチラシを見ている私に、

「500円あげるからやめーな」と言ったのです。

いくらチラシを見てアチコチ走り回っても、せいぜい節約できる金額は500円に満たないだろうという意味だったようです。

私は目からウロコでした。

確かに、スーパーAと、スーパーBの価格は、多くて100円、少なくて数十円の違いなのですから。

それでも普通の主婦は、こんな小さい節約をしているはず。

私がそうしたって特別不思議ではないと思われると思います。

しかし、私の場合ちょっと違っていました。

普通に節約するのではなく、ストイックに節約し続けるのです。

結局専業主婦でいたのは半年ほどで終了。

パソコンがあれば家でも仕事が出来る環境だったので、気が付くと仕事を受けて、そのお金も10年後の家計計画表に付け加えて燃えるほど。

こんなこと誰にも言ったことがなく、今考えてもどうかしてると思ってしまいます。

でも当時、私が30歳頃に、20年後30年後の老後の豊かな生活を夢見ながら、せっせと貯蓄に励む毎日でした。

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