貧乏恐怖症の人は、お金に依存しているわけです。
私はそれを否定したいのですが、否定できません、
お金に依存していなければ、前回までに書いたような働き方はしない可能性が高いのです。
しかし、私が貧乏恐怖症でなければ、それはそれで他の物に依存していた可能性は否定できないからです。
メンタルを病んだ人のことを、世間一般では「メンヘラ」と呼びます。
「メンヘラ」という呼び名は、虐めに等しいくらい、ひどい言葉だと思います。
うちの息子は中学の時に、身体障碍者の方の事を「身障」と呼んでいました。
世界中どの国に行っても、弱者はいじめの対象になるこの世の中、私は貧乏恐怖症です!と大きな声で言えるわけもなく、ただただ静かに自分の病と闘うのみ。
闘っているうちは、まだましなほう。
戦いを辞めてしまえば、たちまち転落してしまう様なきがするのです。
人間は一人では生きていけません。
貧乏恐怖症でなく、他のうつ病の症状が出た時、何かに依存したくなるのは理解できます。
なぜなら、うつ病患者は、世間で「メンヘラ」と指をさして笑いの対象、虐めの対象になるのですから、世間体を保とうと「ふつう」を装い、一人になった時に、孤独を紛らわす存在がなければ、生きていけないのかもしれません。
私も自分が貧乏恐怖症とわかる前は、アルコール依存で体重が20キロ近く増えたことがあります。
別の依存として、異性への依存になるケースも少なくないようです。
例えば、女性であれば、恋愛対象の男性に依存してしまい、メールが相手から来ないと不安でしかたがない。そんな経験をしたことは、誰にでもあるでしょう。
でも、これが病的になると、ストーカーとなる可能性もあるのです。
自分の依存性に気が付いたら、まずは心療内科で相談してみることをおすすめします。
- しばらく気持ちが沈んだままで、なかなか元気になれない。
- 漠然とした不安が押し寄せてくる。
- 何もないのに涙がでることがある。
- 誰からも焦らされていないのに、焦る気持ちが止まらない。
- 疲れていて眠いはずなのに、なかなか寝付けない。
- どうしようもない孤独感に襲われることがある。
- 最近笑っていない。
今まで上げた例は少し極端な例ですが、そうでなくても、小さな自分の気持ちに気づいてあげることはとても大切なことなのです。
今はどこに行っても必ず心療内科はあります。
私も初めて心療内科へ行くときには、不安や緊張でいっぱいでした。
ですが、実際行ってみたら、普通のサラリーマンがいて、子連れの主婦や、老人がいる、内科の待合室とまったくかわらないのです。
一つの街に心療内科が複数ありますから、自分が合わないと思えば、無理して通うこともないのです。まずは、特別な場所という概念をなくしましょう。
そうすることで、自分を解放できるきっかけが必ず見つかると、私は確信しています。
私の場合、回復までに10年かかりましたが、この10年の中にも無駄なことは一つもなかったと感じています。
小さくても一歩前進することが大事なんですよ。