貧乏恐怖症は、私からスタートしたものではないと感じたのは、父が他界した時からのことです。
父のスペック
- 出身:宮崎県
- 兄弟:7人兄弟の長男
- 性格:真面目で気が小さい。せっかち。明るくポジティブ。起伏が激しく、黒はっきりしたい性格。短期。兄弟の面倒見がいい。おしゃべり(心にとどめておくことが出来ない)
- 仕事:トヨタ自動車勤務
父は宮崎県から職を求めて、愛知県に移り住んできました。
それまでは九州で職を転々としていた話を聞いたことがあります。
基本、宮崎県は職が少ない街なのです。
トヨタに勤め始めてからは、給料も良く安定していることから、転職をすることなく定年退職までお世話になっていました。
60歳で定年退職した後、うどん屋さんで、うどんの麺を配達するアルバイトをしていました。
共働き夫婦の年金は合わせて50万以上。
当時私からしてみれば羨ましい限り。
バイトなんかしなくても、十分生活していけるのに。そう思っていましたが、長年働き続けると、遣り甲斐が欲しいのかもしれないと考えるようになりました。
しかし、バイトをする父の動機は、生きがいや遣り甲斐ではなく、「老後が不安」だったのです。
ここまでくると、まったく理解ができません。
夫婦の年金の合計50万以上ですよ!
どこから父が壊れていったのか、今となっては探し出すことはできません。
その頃丁度、アメリカで同時多発テロが発生して、父はこの世の終わりが来た様な絶望的な発言を私にもしてきたのです。
母に聞くと、最近どうも様子がおかしいという。
父は新聞を読んでいて、紙面に「こんな症状はありませんか?」という広告に目を向けると、ほとんどが自分に当てはまるというのです。
それは、「うつ」の症状チェックでした。
この内容を読んでから、父は急変してしまいました。
医療機関に行く前から、完全に鬱だと決め込み、どんどん自分を追い込み続けたのです。
そこから先はとても速かった気がします。
たった1か月の間で、自ら命を絶ってしまったのです。
うつ病からノイローゼと診断を下されてたった1か月。
その間で気力どころか、味覚も失っていました。
自分で洗髪することもできなくなり、母が泣きながら父の頭を洗っていた話を父から聞いたことがあります。
そして父は、親戚と顔を合わせれば、母の優しさを口にしていたのです。
そんな父の死は、私にも大きな影響を及ぼしました。
私の子供のころから、力で全てを支配してきた父。
20年間暴力などの力で支配され続けると、人間どうなるのか。
支配してきた者の作った枠から、なかなか出ることが出来なくなるのです。
私の心の中には、父が作り上げてきた必要でない砦が沢山ありすぎて、社会に出た時、いくつもの障害となって表れてきました。
本来明るい性格の私は、学校を卒業するころには、マイナス思考で自身のかけらすらない人間でした。
異性に対して極度に否定的だった父からの影響で、私は異性を信用することが出来ず、接することが困難な状況でした。
何もかもが絶望的になり、私までうつになってしまったのです。
それから10年強。
現在のように回復に至ったのは、親への反骨精神。
あとは、逃げ場のない幼少期時代に許された、現実逃避。
具体的にいうと、将来の夢を抱くことです。
常に将来はこんな仕事に就きたいと、具体的に夢を見続けた、それだけが私の幼少期の生きる希望でした。
現在は、たまたま夢がかない、希望の仕事に就くことができ、今でも次の目標に向かって歩き続けています。
父も間違いなく、貧乏恐怖症だったと思います。
もし父が貧乏恐怖症でなければ、定年退職後はのんびり退職金をもらいながら、母と温泉にでも入って老後を楽しんでいたことでしょう。
その父がまた、貧乏恐怖症になった原因は、今となっては知ることができません。
一児の母となった私は、子供にだけはこの連鎖をさせてはいけないと思い続ける日々なのです。